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日清紡マイクロデバイスの新社長は、あの伝説のゲーム機の開発に関わっていた!?

新社長

2024年6月28日 公開

2024年3月26日、当社の代表取締役社長に新しく、吉岡 圭一が就任しました。社長と聞くと、会社のトップだし、なんだか遠い存在・・・、でも、日清紡マイクロデバイスの社長ってどんな人?と気になる方もいらっしゃると思います。ということで今回、編集部が新社長にインタビューをしてきました! 

★★★

 

日清紡マイクロデバイスの新社長って、どんな人?

まずは、新社長のプロフィールを簡単にご紹介します。 

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名前:吉岡 圭一(よしおか けいいち) 

誕生日:1962年5月9日 

【略歴】 

1985年4月 ㈱リコー入社 

2006年4月 同社 電子デバイス事業部 第三製品部 第36設計室長            

2011年10月 リコー電子デバイスカンパニー 第一設計室長            

2014年10月 リコー電子デバイス㈱(現 日清紡マイクロデバイス㈱) 設計技術部長

2017年4月 設計技術部長 兼 営業部 営業戦略課長            

2019年4月 経営センター所長            

2021年3月 取締役 経営センター所長            

2022年1月  常務執行役員 コーポレート統括本部 経営戦略本部長            

2023年3月 常務執行役員 経営戦略本部長

 

若手時代、あの伝説の家庭用ゲーム機の開発に関わっていた!

game日清紡マイクロデバイスの新社長・吉岡 圭一は、実は若手時代に、赤と白が特徴的なデザインで、日本初の本格的家庭用ゲーム機の、CPU*の開発に携わっていたのです!

当時、どのような若手時代を過ごしてきたのか?どのようにCPUの開発に携わっていたのか?

気になる方も多いと思いますので、まずは新入社員時代のエピソードからご紹介します。 

*CPU:コンピュータの制御や演算や情報転送をつかさどる中枢部分。中央処理装置。

 

― なぜ、リコーに入社を希望されたのでしょうか?

吉岡:私は、理学部物理学科の出身で、光物性(レーザーを使った結晶の複屈折効果)を研究していました。リコーは、コピーやカメラ等、レンズ光学系技術があるので興味を持っていた会社だったのですが、丁度、地元の大阪に、半導体の拠点ができた事を、リコーに就職した大学の先輩から紹介され、かなり強引な勧誘もあり、志望しました。 採用面接では、「半導体分野では、スタート段階で(当時)無名なリコーを、自分たちの世代の製品で業界トップレベルの有名な会社にしたい」と言い放ち、こういう製品群を強化すべき等と、わかってもいないのに実に偉そうな野望を提案しました。今考えると、大胆で恐ろしい発言ですが、面接官(当時の事業部長)にも、「ぜひ君の力でそうしてくれ!」と言われ、不安だらけでしたが勝手にいい気分になって入社しました。(笑)

 

ceo_interview_02日清紡マイクロデバイス新社長(吉岡 圭一)

 

― 入社後の配属先は希望していた部署でしたか? 配属先・仕事内容も教えてください。

吉岡:私の入社年度は、理系250名、文系150名で、同期は約400名、グループ全体では、総勢1000名を超える大量採用の年でした。配属希望も自由で、どんな職種も選ぶ事ができましたが、勧誘された先輩の顔が浮かんだこともあり、半導体事業を、第1配属志望としました。 偶然か?採用経緯から決まっていたか?当然わかりませんが、希望通り半導体事業への配属となりました。 さらに、拠点の配属では、大きくプロセス系と設計系に分かれ、私は設計に配属されました。 これも希望というより会社が決めた事で、知る由もありませんが、当時は半導体に関わるなら、何でも“まずやってみよう”という感覚でした。 

入社後、モチベーションの維持はどうされていましたか? 

吉岡:先ほどお話したように400名も同期がいましたので、誰が何処に配属されるか、わからない事は当然で、希望通りでなかったとしても、自身のモチベーションにはあまり影響しなかったと思います。実際には、大阪に配属されたメンバーの中には、当然全く希望外のメンバーもいました。当時は、みんなで慰め、励ましあいながら仕事してきましたが、彼らも永年勤続で、シニアとして現在も大活躍されています。 

実は、私の第2志望は、全く違う本社の知財(特許)部門でした。入社時、横浜の寮に入っていたのですが、そこでお世話になった知財部の先輩に、熱く特許の重要性や楽しさを語られた影響で、第2志望は知財にしてみようとなりました。会社を選んだ時と同じく熱い先輩に影響されやすい純粋な青年だったのだと思います。さらに余談ですが、その後特許ではかなり苦労した事もあり、特許(特許出願)は、設計時代に、かなり熱心に取り組みました。プチ自慢ですが50件以上の特許登録実績で、本社(リコー)のジュニアパテントマスターという称号もいただきましたよ。 

ceo_junior-patent-master"特許登録50件以上"の実績保持者の称号「ジュニアパテントマスター」

 

― 吉岡さんの功績として、伝説の家庭用ゲーム機のCPU開発に携わられていたとお聞きしましたが、いつから、具体的にどのような部分に携わられたのでしょうか? 

吉岡:最初に配属された部署が、IP、ライブラリの開発部隊でしたので、CPUというIP(当時メガセルと呼びましたが)としてゲーム機用の8bit-NMOS CPUから、CMOS版へのポーティング(置換え)と、次世代ゲーム機の16bit CPUの開発について、回路設計から検証、レイアウト設計から試作、評価まで一連を担当しました。 

― 家庭用ゲーム機のCPU開発で苦労したこと、印象的な出来事はありますか? 

吉岡:米国からライセンスされたCPUでしたが、その通り作ったところ、まったく動かず、バグも多かったので、結局、一から設計しなおす事となりました。当時は、CPUのような大規模回路の全体シミュレーションなどはできなかったので、手書きの回路図と、人力での検証が主体でした。動いたのは、奇跡に近いかもしれませんね。 

実はその後がさらに大変で、そのCPUに特許抵触問題があり、それを回避するため、現在はWEB等DBで特許検索可能ですが、当時、大阪の四天王寺にある特許の図書館に約半年間ほぼ毎日通い詰めて、特許資料を、ひたすらめくって調査・検討・回避しました。先程、特許出願に拘ってきた話をしましたが、この時のトラウマが特許の重要性を認識したスタートです。 そこで、それ以降もCPUやDSP、画像プロセッサの開発を数多く担当しましたが、苦い特許問題の経験から、常に特許権侵害を事前に回避、新規出願しながら、オリジナルアーキテクチャに拘り、専用性能を追求してきました。 

事例:高性能画像プロセッサ プロセス:2um(ゲーム用CPU)~0.35um/0.25um/0.18um/0.13um/90nm/65nm 

また、CPU開発は、当時メモリと並んで、プロセスドライバーと呼ばれる製品分野で、半導体の先端プロセス開発に平行して製品開発するものでした。時流に乗るために、開発期間(時間)との闘いも壮絶でした。プロセスの完成度もまだ低かったので、ひどいときは、10000個試作して、正しく動く良品が、1個(歩留まり0.01%)などもありましたね。失敗も多かったですが、最先端のプロセス技術や、IP、そしてCAD/PDKなどの最新の設計技術を貪欲に導入する必要があり、苦労も多かったですが、常に最新技術に挑戦できたことは、とても新鮮で、楽しかったです。 

 

実は旧リコー電子デバイスは、携帯電話の普及にも貢献していたのです!

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さて、ここまで社長の新入社員時代、家庭用ゲーム機CPUの開発についてお伝えしてきました。日清紡マイクロデバイス誕生時の会社紹介コラムでも少しお話していますが、旧リコー電子デバイスの歴史で、実は、携帯電話の普及に貢献していた功績があります。 

旧リコー電子デバイスは、2000年前後(平成初期)、アナログワンチップ(AOC)という、携帯電話端末のシステムを構成するうえで必要となる電源機能を含む、アナログ機能のほぼ全てをと取り込んだ半導体チップの開発に日本で初めて成功しました。当時は、日本で販売されていた携帯電話の50%以上に、旧リコー電子デバイスのAOC製品が搭載されていました。

その当時の状況を知るべく、執行役員 川添 知乃(当時の営業担当)に話を聞きました。

 

新社長同様、まずは新入社員時代のお話からご紹介します!

― なぜ、リコーに入社を希望されたのでしょうか? 

川添:当時、日本メーカーが強いモノづくりの会社(製造業)に入りたかったからです。その中でも大きすぎる総合電機メーカーではなく、中堅メーカーを第一優先とし、その中で”営業”が強いのがリコーでした。事務系出身の自分も力が発揮できると思いリコーを選びました。 

― 入社後の配属先は希望していた部署でしたか? 配属先・仕事内容も教えてください。

川添:電子デバイス事業部は希望していた部署ではなかったが、営業職は希望通りでした。業務内容は販売店を通じてお客様への拡販活動です。 

― 入社後、モチベーションの維持はどうされていましたか? 

川添:これから伸びそうな業界であること、設計・製造から営業まで一貫した業務があり事業部の状況やメンバーの顔が良く見えるので、頑張ろうという気持ちを持てていました。 

日清紡マイクロデバイス執行役員 川添 知之日清紡マイクロデバイス執行役員(当時の営業担当) 川添 知乃

 

― 携帯電話のAOC開発ではいつから、どういうところから携わられましたか? 

川添:営業・マーケティングを担当していましたが、当時の設計課長から「今度アナログブロックと電源回路をワンチップに載せたTEG(Test Element Group)を開発する。上手く特性が出たらお客様に紹介に行こう。」と言われてAOCを始めたので、開発の初期段階から携わっていました。 

― AOCの製品化後、技術的なハードルが高く生産できるのが、当時、旧リコー電子デバイスだけだったとのことですが、他社には生産できる技術がなかったのでしょうか?  

川添:競合メーカーは大きな会社でしたのでアナログブロックと電源を開発・製造している事業部が異なったり、プロセスが異なったりしていたので、ワンチップで開発・製造するにはかなりハードルが高かったと思います。 逆にリコーは当時小さな会社でしたので、アナログブロックも電源回路も同じ事業部で開発・製造しており、ワンチップ化するのに適していたと思います。 

― AOC製品が採用される前と、採用された後で、携帯はどのように進化したのでしょうか? 

川添:アナログブロックと電源回路をワンチップにし、消費電力も大幅に削減できたので、携帯電話の小型・軽量化とバッテリーの長寿命化に大きく貢献しました。 

― 日本での携帯電話がガラパゴス化してしまった後、旧リコー電子デバイスは海外に活路を見出そうとしました。海外のお客様を対応されたことも多いと思いますが、最も印象深かった、国は? 

川添:印象深かったのは中国になります。大きな国なので移動が大変なのですが、飛行機もよく遅れたり欠航になったりしました。電車がないところは高速バスで3-4時間も移動したこともあります。また、打合せ時間が容易に変更になったり、キャンセルとなることもありました。やはり文化や考え方の違いが大きく、最初は戸惑いました。 

― 国内外問わず、お客様対応で大変だったこと、印象に残っていること、やりがいなどあれば教えてください 

川添:国内では歩留りが低く、なかなかお客様の需要通りに供給できず、毎週のようにお客様を訪問し、今後の数量につき打合せを行いましたが、最終的には数量を増やすためにお客様が製品の仕様を緩めてくれたり、値上げを受け入れてくれたりして何とか乗り越えることができました。海外ではお客様の需要が急増したため土日も含めて毎日のように個人電話に連絡をいただき、デリバリーや打合せを行ったことです。 やりがいはお客様に真摯に対応し、乗り越えた時に非常に喜び、感謝され、その後の大きなビジネスに繋がったことです。 

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事業統合した日清紡マイクロデバイスは今後どうなっていくのか?

NISDここまで、旧リコー電子デバイスの歴史についてインタビューをしてきました。

2022年1月に旧新日本無線株式会社と、旧リコー電子デバイス株式会社が事業統合して日清紡マイクロデバイスとなり2年が経過しています。

最後に、旧リコー電子デバイスの歴史に大きく貢献したお2人に、日清紡マイクロデバイスは今後どうなっていくのか、また、今後どんな人に入社してほしいと考えているのかをお聞きしました。

 

― 日清紡マイクロデバイス全体の会社の雰囲気として、いいところはなんだと思いますか? 

川添:自分の役割・業務を一生懸命に遂行するところ、あとは旧新日本無線のチャレンジ精神と旧リコー電子デバイスの風通しの良さが全体に浸透するともっといい会社になると思います。 

吉岡:社内外から、よく風通しの良い会社と言われる事があります。 実はこの会社にいると、慣れているので感じ難いのですが、社員が自由に発言したり、役職名ではなく、“さん”で呼び合っていることなどからも、そのように感じていただいているのかもしれません。会社なので秩序は重要ですが、特に統合した会社なので、上司と部下、先輩と後輩、同僚間、拠点、組織間など様々な面で、日清紡マイクロデバイスらしさとして風通しを益々よくしてゆかなければなりません。生産部門では、拠点の良さをマネする拠点間の垣根を超えた「マネマネプロジェクト」などもあります。日清紡マイクロデバイスでは、従業員アンケート等サーベイに従い、コツコツですが、各組織で工夫して様々な改善に取り組んでいます。トップダウンだけでなく、各組織で有機的に改善できるところも、当社のいいところだと思います。 

― 日清紡マイクロデバイスをどういう会社にしていきたいとお考えですか? 

川添:風通しが良く、何でも相談でき、チャレンジできる会社、関わる人を大切にできる会社、家族や知り合いに自慢できる誠実な会社にしたいと考えています。 

吉岡:まず、日清紡グループの事業ポートフォリオ変革の中で、会社を維持するのではなく、大きく成長させなければなりません。現在は、アナログソリューションプロバイダーを掲げていますが、目指す姿に向けた礎を築く段階にあり、新規ビジネスの探求と、単純な部品から、マイクロ波製品との融合や、新しくモジュール、ユニット、ソリューション提供等も始めています。 そこで、このような新しい製品を続々と開発できる会社には、技術だけでなく“日清紡マイクロデバイスらしさ”を備えた新しい当社の会社風土や文化を備えた組織が必要と思います。 我々過去の半導体ビジネスに長い歴史と経験はありますが、従来と同じ仕事を続けるだけでは会社統合した意味が全くなく、組織は進化しません。従来の仕組みや考え方に拘らない、恐れず挑戦と変革が日常的にできる当社らしい新しい組織風土と文化を創りたく思います。 

ただし、まだ風土や文化を変えるための具体的なアイデアは、質・量ともに充分ではありません。 私も、無茶な野望を面接で提案して入社しましたが、特に、若手社員の提案や行動に期待したいですね。どういう会社にしたいか、アイデアをもらい一緒に考えてゆければ大変ありがたいのです。 

― 新社会人や、現在就職活動中の方へのアドバイス・ひとこと 

川添:自分の個性や特徴に合った会社、自分の強みが発揮できる会社を探し、選んで就職してほしいと思います。 

吉岡:社会人になる前に、まず、学生時代にできる事、やりたい事は、思い残す事なく、実践してください。 また、会社では、学生時代と変わらず継続して勉強する事は当然必要ですが、学生の期間にくらべ、社会人人生は、40年、50年と明らかに長いので、今を慌てる必要はありません。誠実に一歩ずつ確実に進める事が重要です。特に会社選びは、皆さんの人生の大変大きな決断ですが、規模や知名度だけでなく、「自分のやりたい事は何か?それが実現できそうか?」、「自分の性格にフィットする職場か?」が確認できるとよいと思います。 

― 26年の就職活動が始まりますが、どのような方に来て欲しいですか? 

川添:誠実で強い責任感をもって頑張れる人、どのようなものでもいいのでこれといった強みを持っている人にぜひ来ていただきたいと願っています。 

吉岡:皆さんも小さい頃は、サッカー選手になりたい、パティシエになりたいなど、比較的具体的な夢があったと思いますが、成長すると、"社会の役に立ちたい"など漠然としたものになりがちです。 社会人になっても夢が変化する事はありますが、まず具体的な夢をもっている方に来ていただきたいですね。 我々日清紡グループは、“挑戦と変革。地球と人びとの未来を創る。”を企業理念としています。 未来に向けて何を創りたいかイメージしてもらい、ぜひ、当社で挑戦して、あなたの夢を実現してください。 

 

インタビューを終えて

今回は社長の吉岡の人物像に迫りながら、執行役員の川添も交えて旧リコー電子デバイスの歴史についてご紹介いたしました。

編集部の私は、旧新日本無線出身かつ川越事業所勤務なので、普段なかなか話す機会がなく緊張していましたが、色んな話を聞くことができてとても楽しく、新鮮な気持ちになりました。

今回インタビューをしてみて、「まずはやってみる」のチャレンジ精神、夢や目標など、なにか熱い思いを持って目の前の仕事に取り組むことが、会社の成長に大きく繋がるのだなと感じました。

また、就職活動を考えている方にとっても、どのような雰囲気の会社なのか、どのような人が働いているのかは、凄く大事なポイントだと思います。

新卒採用サイトでは、さまざまな職種の社員たちを紹介していますので、気になる方はぜひ「先輩社員紹介」もご覧ください。そして今後もし社長と話をする機会があったら、このブログの感想を伝えてみてください!

日清紡マイクロデバイス新卒採用サイト日清紡マイクロデバイス新卒採用サイト

今回は旧リコー電子デバイスの歴史に触れましたが、旧新日本無線の歴史についても、インタビューを踏まえながら紹介する予定ですので、そちらもお楽しみに!!

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About Author

山領 ひとみ
山領 ひとみ

2018年 新日本無線(株)入社。2019年7月に生産現場から広告企画課へ異動し、Webバナーや雑誌広告用のデザイン作成、新製品のプレスリリースページ作成(電子デバイス)、ウェビナー・展示会運営などを経験。現在は、日清紡マイクロデバイスのデジタルマーケティング課でメルマガを活用したお客様の興味関心分野、課題解決に貢献できるような情報発信や、認知拡大やブランディングの役割を担うSNS(X)運用、ときには本ブログの執筆に日々奮闘しながらも、お客様に近い立場での取り組みにやりがいを感じている。プライベートでは、愛犬(ミニチュアシュナウザーの男の子)のしつけに絶賛奮闘中。

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