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半導体産業の水平分業化の歴史~ファウンドリの誕生~

foundry

前回は設計に特化した企業であるファブレス半導体企業について説明しました。今回は前工程の製造に特化した企業であるファウンドリ誕生の歴史的経緯などについてお話ししましょう。

第15回 半導体産業の水平分業化の歴史
~ファウンドリの誕生~

 

ファウンドリという用語について

ファウンドリ(foundry)の意味を英語の辞書で調べると、鋳造(業)、鋳物類、鋳造所、鋳物工場などの意味しか出てきません。それがなぜ半導体に用いられるようになったのか。不思議ですね。誰が最初に使ったのでしょうか?

 

前回カリフォルニア工科大学のミード(Mead)教授とゼロックス社のコンウェイ(Conway)が1981年のElectronics誌のAchievement Awardを受賞したとお話ししましたが、その二人の業績を紹介する記事(Electronics19811020日号)の中に次のような記述がありました。

The term silicon foundry was coined by Intel's Moore, but Mead disseminated it. (シリコンファウンドリという用語は、インテルのムーアによって作られましたが、ミードがそれを広めました。)

前回ミード教授がインテル創業者のゴードン・ムーアとロバート・ノイスのコンサルティングをしていたとお話ししましたが、そういう関係性ならあり得る話ですね。

 

鋳物というのは、皆さんよくご存じだと思いますが、加熱して溶かした高温の液体状の金属を型(鋳型という)に流し込み、それを冷やして固めた後に鋳型から取り出して作られる金属製品です。鋳型さえあれば、鋳型と同じ形をした金属製品を何個でも作ることができます。鋳物を造ることを鋳造といい、金属製品の大量生産に適した金属加工方法です。半導体の場合も、回路パターンが形成されたマスクがあれば、第2回で説明したような方法でそれをSiウェーハに転写することができます。それを繰り返せば、マスクと同じ回路パターンが転写された集積回路チップが多数搭載されたSiウェーハを何枚でも作ることができます。鋳物の鋳型と集積回路のマスクを対応させて、両者の類似性から、ファウンドリの頭にシリコンを付けてシリコンファウンドリと呼んだのではないかと想像できます。実際は頭にシリコンを付けずに単にファウンドリと呼ぶことが多いです。

 

 

AdobeStock_430692253low鋳物工場で高温の溶けた金属を鋳型に流し込むところ

 

 

ファウンドリという言葉は、半導体デバイスの前工程の製造受託に特化した企業のことを指す場合と、前工程の製造受託ビジネスを指す場合があります。

 

前回のお話で、当初はIDM(Integrated Device Manufacturer)がファブレスの製品の製造を受託していたと言いましたが、IDMがファウンドリビジネスも行うことは現在でも普通にあります。当社もファウンドリサービスを提供しています。詳細は以下リンクをご覧ください。

ファウンドリサービス | 日清紡マイクロデバイス (nisshinbo-microdevices.co.jp)

 

これに対して、ファウンドリビジネスしかしていない企業のことを英語でpure-play foundrydedicated foundryと呼ぶことがあります。日本語では専業ファウンドリと訳されることが多いと思います。

※ファウンドリあるいはfoundryをネットで検索すると、半導体製造工場という意味が出てくることがあります。しかしIDMの製造工場をファウンドリと呼ぶことはありません。

 

設計と製造の分離の提唱

またミード教授は1979年には半導体の設計と製造の分離を提唱しました。以下の文献に次のような記述があります。

The concepts of silicon foundries and fabless design houses, and the separation of design from manufacturing were publicly introduced by Carver Mead in January 1979 at the first Caltech Conference on VLSI:以下省略

(シリコンファウンドリとファブレスデザインハウスの概念、および設計の製造からの分離は、1979 1月のVLSIに関する最初のカリフォルニア工科大学の会議でカーバー・ミードによって公に紹介されました。)

MARCO CASALE-ROSSI, “The Heritage of Mead & Conway: What Has Remained the Same, What Has Changed, What Was Missed, and What Lies Ahead [point of view], “ Proceedings of the IEEE, Vol. 102, No. 2, February 2014, pp.114-119

 

分離と分業は同じではありませんが、少なくとも分離できなければ分業も不可能なので、分離の方が本質的で重要だったと思います。分離さえできれば分業はできます。

 

システムの設計はもともとユーザーがしていたわけですから、半導体が汎用部品ではなくなりシステムが搭載できるレベルになった以上、設計というものを個々の半導体企業内部に閉じ込めておくのではなく、分離してユーザーに開放すべきだというのはその通りだと思います。

 

解放されることによってユーザーが専用の半導体デバイスを設計することができます。前々回の第13回で述べたように、大手IT企業などではそういう事例が増えてきています。何らかの技術を持っている設計会社が、それを汎用的な半導体デバイスとして実現してシステム会社に販売すれば、ファブレス半導体企業になります。学生や研究者が、教育や研究のために自分たち専用の半導体デバイスを設計することも可能です。

※設計と製造の分離を提唱していますので水平分業化の予測ともとれますが、専業のファウンドリを想定していたのかは調べた範囲では判明しませんでした。

 

ファウンドリの登場

前回お話ししたように、ファブレス半導体企業は米国で1980年代に生まれましたが、米国でその当時に製造受託専業のファウンドリが生まれることはありませんでした。当社(旧リコー電子デバイス(株)の前身の(株)リコーの半導体部門)を含め日本のIDMも米国のファブレス企業の製品の製造を受託していましたが、同じく日本でもその当時に専業ファウンドリが生まれることはありませんでした。当時はまだIDMの空いた生産キャパを利用することで対応可能なビジネス規模であり、IDMにとっても片手間、副業あるいはニッチビジネスだったと思われます。

 

世界最初の専業ファウンドリのTSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company)は、半導体後発国であった台湾の半導体産業育成政策から生まれました。産業の発展過程で自然発生的にファウンドリが生まれたわけではありませんでした。ただし、台湾政府自身が前工程製造受託専門の会社を作ろうとしていたわけでもありませんでした。そのアイデアはTSMC創業者として著名なモリス・チャンから提案されました。

 

歴史的経緯は、ネット検索で得たいろいろな情報をまとめると以下のようになります。

 

台湾政府は1970年代中頃から国策としてハイテク産業の育成を目指しました。1973年に政府はハイテク産業育成に大きな役割を果たしたITRIIndustrial Technology Research Institute、日本語では工業技術研究院)を設立しました。政府は電子工業発展計画を策定し、1974年にはITRI内にERSOElectronics ResearchService Organization)が設置されました。半導体産業の育成はこのERSOを中心に行われました。そして1980年にはUMCUnited Microelectronics Corporation)を半導体企業として独立させることに成功しました。現在のUMCはファウンドリですが、当時のUMCはまだファウンドリではなくIDMでした。

ERSO:当初はElectronics Industrial Research Center でしたが1979年にElectronics ResearchService Organization ERSOと略す)に改称されました。

 

政府はさらに次のステップとしてVLSI計画の推進を決めました。そして1985年に政府は、ITRI院長として、TIの副社長として半導体事業を統括した経験のあるモリス・チャンを米国から招聘しました。政府からの事業計画策定の要請に対して、モリス・チャンが提案したのが製造前工程に特化した企業すなわちファウンドリでした。この提案は受け入れられて、半官半民のファウンドリ企業TSMC1987年に設立されました。

 

ただし民間の出資企業探しは難航しました。日米の有力企業にはすべて断られ、欧州のフィリップスのみが出資に応じ設立にこぎつけることができました。当時はこのビジネスモデルが成功する、投資に値すると考える半導体企業はほぼなかったようです。

 

 

AdobeStock_206642614low近代的な高層ビルが立ち並ぶ台湾の首都台北の夜景

 

モリス・チャンがどのようにして専業ファウンドリという考えに至ったかについては2007年のインタビューで語っておられて、その中で3つのポイントを挙げておられます。

 

1点目は、前回と今回で紹介したミード教授の著作を米国時代に読んでおられて設計と製造の分離の概念をご存じだったこと。2点目は、30年に及ぶ米国での半導体ビジネスの経験から、強力なプレーヤー達が存在する競争の激しい業界に新しい台湾企業が割って入ることの難しさをご存じだったこと。3点目は、台湾の半導体業界の現状を考えると唯一可能性のある強みは製造であると考えられていたこと。

 

以上の3つのことから専業ファウンドリという考えに至ったということのようです。しかし、その時点でファウンドリの市場があるとは思っておられなかったと書かれています。ただしこのことは当時の半導体業界としては普通のことで、実際上述のように大手半導体企業のほとんどから出資を断られています。ただ米国時代に、独立を望む多くの設計者が工場建設にかかる多額の費用を調達できずに独立を諦めた事例をご存じだったので、TSMCがそれを解決することで市場ができる可能性は認識されていたようです。

 

モリス・チャンのインタビューの詳細は以下をご覧ください。

2007824日のSEMIComputer History Museum のインタビュー記事

Oral History Interview: Morris Chang | SEMI

Microsoft Word - Chang_Morris_1.oral_history.2007.102658129_all.JAS.doc (computerhistory.org)

 

実際、最初の数年は、台湾や米国のファブレスの仕事も受けていましたが、まだまだビジネス規模は小さく、IDMの製品の製造受託の仕事が主なビジネスでした。IDMの工場から溢れて作り切れなかった製品の製造です。この時点では、IDMの下請けと言っていい状態だったと思われます。

 

しかし1990年代になってファブレスの製品の製造受託ビジネスが本格的に立ち上がったようです。TSMCの成功を見て、1995年にはIDMだったUMCがファウンドリに転換し、設計部門をファブレスとして分離しました。そのファブレスの1社が、前々回に登場したメディアテックです。

 

1994年にはFSAFabless Semiconductor Association)という国際団体が結成されています。ファブレス半導体企業とファウンドリ企業からなる40社程度のメンバーで発足したようです。

 

1990年代の中ごろまでには、ファブレス半導体企業が本格的に立ち上がり、ファウンドリビジネスもそれに伴って成長してきたということだと思います。90年代末には当社(旧リコー電子デバイス(株)の前身の(株)リコーの半導体部門)でも、最先端ロジックプロセスを使う製品については、ファウンドリとのビジネスを始めました。

FSA2007年にIDMを含む半導体全体の業界団体GSAGlobal Semiconductor Alliance)に再編されました。

 

上述のように、ファウンドリは決して産業の成熟や進化の結果として発生したものではありませんでした。逆に台湾の半導体産業が後発で未発達だったからこそ、このような発想が生まれたと考えられます。

 

TSMCが設立された当時は、まだファブレスのビジネス規模が小さかったためIDMの副業で対応できるレベルだったと思います。もしTSMCがなかったとして、ファブレスのビジネス規模が大きくなってIDMの副業レベルで対応できなくなったときに、誰かが専業のファウンドリを作ったでしょうか?それは、何とも言えませんね。

 

ファウンドリ業界の現状

ファウンドリ業界の現状を、調査会社のTrendForce社が四半期ごとに発表している売上ランキングのデータから見ていきましょう。

 

2022年末の時点で、売上ランキングTOP1095%以上、TOP5が約90%のシェアを占めます。6位以下の各社のシェアを合計しても10%程度ということです。また地域別で見ると、台湾、韓国、中国のアジア勢で約90%を占めます。

 

TOP5は上から順番にTSMC(台湾)、サムスン(韓国)、UMC(台湾)、グローバルファウンドリーズ(米国)、SMIC(中国)です。5位と6位は差があるので、当面このメンバーは変わらない見込みです。サムスン以外は専業ファウンドリです。

 

13回でもお話ししたように、グローバルファウンドリーズは、もともとはAMD(米国)の製造部門でしたが、2009年に分離されてファウンドリとなりました。

 

TOP5で90%以上を占めるとはいうものの、中身を見てみるとTOPTSMC50%以上と圧倒的なシェアで、1位のTSMC2位のサムスンで70%程度のシェアとなります。3位から5位のシェアはすべて10%未満です。

 

また最先端の微細プロセスに限ると、第5回でお話ししたように、この中で生き残っているのは2022年時点でTSMCとサムスンだけになってしまいました。

 

少数のファウンドリで多数のファブレスを支えるという構図になっています。

 

なおインテルが2021年にファウンドリ事業の強化を宣言しており、今後はTSMC、サムスンに並ぶ最先端微細プロセスのファウンドリとなります。またインテルはファウンドリ売上TOP10に入っているイスラエルのタワーセミコンダクター(Tower Semiconductor、以降タワーと略す)の買収を2022年の2月に発表しています。買収が完了しタワーがインテルのファウンドリ事業に統合されると、その時点でインテルがファウンドリ売上TOP107位か8位に入ってくることになります。

 

最後に、ここまで紹介した出来事を、前回分も含めて、表にまとめると以下のようになります。

ファブレスとファウンドリの歴史
分業化出来事3

 

さて今回は、前工程の製造に特化した企業であるファウンドリについてお話ししました。水平分業化のお話は今回の第3回で終わる予定でしたが、書いているうちに話が膨らんできて3回で収まりませんでした。ということで、次回の第4回で水平分業化に関するその他いくつかの話題をお話しして水平分業化の最終回としたいと思います。

 

 

※過去の記事はこちら:
シリーズ:半導体の微細化
  第1回: 半導体の微細化 ムーアの法則とは
  第2回: 半導体の微細化と半導体プロセス
  第3回: 半導体の微細化と国際半導体技術ロードマップ
  第4回: 半導体の微細化と半導体ビジネス
  第5回: 半導体の微細化と半導体ビジネス その2
  第6回: 半導体の微細化と半導体デバイス
  第7回: 半導体の微細化 スケーリング則とは
  第8回: 半導体の微細化 スケーリング則の限界
  第9回: 半導体の微細化とアナログ回路
  第10回: Siウェーハの大口径化 ~ありふれた物質Si(シリコン)が主役になるまで~
  第11回: Siウェーハの大口径化(その2) ~Siウェーハができるまで~
  第12回: Siウェーハの大口径化(その3) ~大口径化の理由と歴史~
  第13回: 半導体産業の水平分業化とファブレスの躍進
  第14
回: 半導体産業の水平分業化の歴史~ファブレス半導体企業の誕生~

ハッカソンで若手技術者が生み出したデモ機たち
欧州FAEが感じたヨーロッパの半導体ビジネス~オフィス立ち上げと新しい挑戦~

About Author

吉田 典生
吉田 典生

1981年 (株)リコー入社、リコー半導体事業立ち上げに参画しその後約40年にわたり半導体ビジネスに携わる。 技術者およびマネージャとして半導体前工程の製造技術・装置技術・プロダクト技術、研究所での製造プロセス開発、アジア各国での前工程生産外注立ち上げを経験。 その後シニアマネージャとして半導体後工程も含む生産技術全般、さらに生産管理や購買も含む生産全般のマネジメントを担当。 また業界団体SEMIの主催するセミナーにおいて20年以上にわたりエッチング技術の講師を担当。 日清紡マイクロデバイス(旧リコー電子デバイス)株式会社として分社化した今は、営業戦略全般のアドバイスも行いながら、“会社の歴史の語り部”という役割も担う。

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