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半導体産業の水平分業化の歴史~ファブレス半導体企業の誕生~

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前回は半導体産業の水平分業化について概説し、ファブレス半導体企業が存在感を増していることを示しました。今回はそのファブレス半導体企業誕生の歴史的経緯などについて見ていきたいと思います。

第14回 半導体産業の水平分業化の歴史
~ファブレス半導体企業の誕生~

 

ファブレス半導体企業誕生の背景 ~半導体ビジネスの変化~

ここではファブレス半導体企業誕生の背景を考えてみたいと思います。

 

第1回で説明したようにムーアの法則に従ってチップ上に搭載される素子数は指数関数的に増加しました。この量の増加は単なる量の増加にとどまらず、半導体ビジネスの性格を質的に大きく変貌させました。これがファブレス半導体企業誕生の大きな要因になったと思います。では以下でそれを具体的に見ていきましょう。

 

《集積回路の発明まで》(1950年代)

集積回路の発明以前に半導体企業が作っていたのはトランジスタという単体の素子で、あくまで一つの汎用部品に過ぎませんでした。コンデンサや抵抗と同じく電子部品の一種です。

 

当時の半導体企業(あるいは総合電機メーカーの半導体部門)の仕事はトランジスタという部品の製造であり、回路やシステムの設計はユーザーの仕事でした。そもそも半導体の上には回路が載っていないので、前回説明したような、回路や色々な回路を集積したシステムの設計に特化したファブレス半導体企業の存在する余地がありません。半導体は回路やシステムではなく物理学の世界でした。

 

水平分業が発達した現在でもトランジスタ等の単体素子(ディスクリート半導体と呼ばれる)の主要メーカーはIDM(Integrated Device Manufacturer)です。

 

ただ水平分業が進んだ現在では、製造だけを請け負ってくれる会社が既に存在しますので、トランジスタの開発に特化したディスクリート半導体のファブレスも存在します。しかし、半導体企業が半導体工場を持つことが常識で水平分業という考え方がなかった時代に、開発に特化したファブレスという形態は(断言はできませんが)ほぼなかったであろうと思います。

AdobeStock_508584120_700x394いろいろなトランジスタ

 

《集積回路発明以降》
ICからLSIへ(1950年代末から1970年頃まで)

1950年代末に集積回路が発明されましたが、すぐに大規模な回路が搭載されたわけではありません。最初のころは搭載された素子数は数十個程度、多くても数百個程度で、搭載される回路も(特殊なものもあったかもしれませんが)汎用的に使われる基本的な回路でした。汎用的な部品であることには変わりはありませんでした。

 

例えば、下図の基本的な論理ゲート(LOGIC GATE)を複数個搭載した標準ロジックICと呼ばれるものが代表的な製品で、今でも複数の会社が販売しています。以下の写真はその1例です。

 

全体のシステムを設計するのはユーザーで、プリント基板に上記の標準ロジックICのような汎用の集積回路を並べて専用のシステムを実現していました。半導体企業は基本的には汎用部品を作る製造業であり、設計に特化したファブレスにほぼ意味はなかったと思われます。標準的な回路は誰が設計しても同じで、設計で差別化することはできません。

AdobeStock_348827252_700x434基本的な論理ゲート

AdobeStock_460186950_700x467インバータ回路(NOT回路)を6個集積した標準ロジックIC

 

しかし、集積回路の発明以降チップ上に搭載される素子数は増加し続け、第1回でお話ししたように1965年にはムーアの法則が提唱されます。そして、集積回路の発明から約10年後の1970年頃にはチップ上に千個以上の素子を搭載できるようになり、第4回でお話ししたように、1971年には1チップLSI電卓が登場しました。Siチップが単なる「部品」から「システム」へと「質的な変化」を遂げつつあったと考えられます。

 

ただし、この当時の設計手法は各半導体企業内の技術者の専門的なスキル頼みの手作業が多く、外部の人間が設計することはほぼ不可能だったようです。また手作業であったために電卓用のチップ開発の依頼をすべてカスタム設計で対応することも困難だったようです。電卓の場合は、カスタム化はソフトウェアで対応しハードウェア(回路)は汎用化することでこの問題を解決しました。その汎用化されたハードウェアがマイクロプロセッサです。

 

半導体デバイスとしてはシステムを搭載できるレベルになりつつありましたが、設計手法がそれに追いついておらず、設計に特化したファブレス半導体企業の登場にはもう少し時間が必要でした。

 

私は1981年入社なのでこの時代の設計手法を知りませんが、私の新人時代に、マイラー紙と呼ばれる特殊な紙でできた大きな方眼紙の上に、設計者がトランジスタや配線を鉛筆で書いて色鉛筆で色を塗っていた光景を思い出します。

 

LSIからVLSIへ(1970年代から1980年代)

ムーアの法則の予測通り、集積度は年々指数関数的に向上していました。Siチップ上に搭載できる素子数は、1970年頃には千個程度だったものが、ざっくりですが、1970年代末には10万個程度、そして1980年代後半になると百万個以上と飛躍的に増大しました。最近はあまり使われないかもしれませんが、このころにはLSIの中でも特に大規模なものをVLSIVery Large Scale Integrationの略)と呼んでいました。

 

これだけ集積度が向上するとチップ上には単なる回路ではなくシステムが集積でき、様々な機器の電子回路を1チップから数チップ程度の集積回路で実現できるようになります。ただし先述のような手作業による設計では、半導体企業がユーザーの欲する専用VLSIをすべて設計することは現実的には不可能です。

 

これを解決するために設計手法の改革とコンピュータによる設計の自動化が急速に進みました。設計の自動化ツールも最初は各半導体企業固有の内製ソフトでしたが、外部の専門ベンダーによるソフトに変わっていきました。これも一種の分業です。コンピュータも従来は大型コンピュータが使われていましたが、半導体の高集積化が進むことでコンピュータの小型化が進みEWS(Engineering WorkStation)という技術的な業務に使用する小型のコンピュータが普及しました。

 

さらにユーザーの機器ごとに専用のVLSIを作るための効率的な手法も開発されました。ここでは詳述はしませんが、それが,ゲートアレーやスタンダードセル(あるいはセルベースIC)と呼ばれるセミカスタムICPLDProgramable Logic Device)と呼ばれるユーザーが回路をプログラムできるロジック製品です。第5回にも触れたFPGAField Programable Gate Array)はPLDの一種です。

 

これらの変革により、半導体企業の外部のユーザー(顧客、学生、研究者など)が専用のVLSIを設計できる環境が整いつつありました。

 

微細化の進展による変化としてもう一つ重要なことは、第5回でも少し触れましたが工場建設費が微細化の進展に伴って急激に高騰していったということです。そのため新興企業が工場を作って新規参入することが極めて困難になり、ある時期以降の新興企業の新規参入はファブレスという選択にならざるを得なかったと思われます。

 

半導体業界外の貢献

上述のような設計手法の変革は半導体業界内の努力だけで実現されたのではありませんでした。

 

カリフォルニア工科大学のミード(Mead)教授とゼロックス社のコンウェイ(Conway)が著した「Introduction to VLSI Systems」という1980年に出版された書籍(プレプリント版は1978年と1979年に出版されています)が大きな影響を与えたと言われています。彼らによる設計手法の変革はMead & Conway revolutionとも呼ばれています。この本によってVLSIの設計の詳細が半導体企業以外の人々に初めて公開されました。学生たちがこの本に則って実際にチップの設計をして完成したチップの評価をするという授業が各大学で行われていたようです。ミードとコンウェイは1981年のElectronics誌のAchievement Awardを受賞しています。

 

このミード教授(現在は名誉教授)は、第1回のムーアの法則の回にムーアの法則の命名者として紹介しましたが、半導体業界に対する貢献を評価されて2022年に第37回京都賞を受賞されています。授賞理由は「大規模集積回路(VLSI)システム設計の指導原理の構築と確立への先導的貢献」とされておりミード教授の貢献は非常に大きかったと考えられます。

※ミード名誉教授の正式な肩書は、カリフォルニア工科大学 ゴードン・アンド・ベティ・ムーア工学・応用科学名誉教授(Gordon and Betty Moore Professor of Engineering and Applied Science, Emeritus, California Institute of Technology)です。

AdobeStock_456463501_700x467美しいカリフォルニア工科大学のキャンパス

 

ミード名誉教授の京都賞受賞記念講演の動画【京都賞記念講演】カーヴァー・ミード「情報革命の時代を生きて」 - YouTubeYoutubeで公開されていたので視聴しましたが、彼はインテル創業者のゴードン・ムーアやロバート・ノイスのコンサルティングをしていたと話されていました。第1回で述べたように彼がムーアの法則の名づけ親になったのも頷けますし、コンサルティングをすることで半導体業界の実態を知ることができ、それがMead & Conway Revolutionや「Introduction to VLSI Systems」の出版につながったと思われます。

 

ファブレス半導体企業の登場

では具体的にいつごろどのようなファブレス半導体企業が設立されたのかを見ていきましょう。

 

世界最初のファブレス半導体企業はどこでしょうか?いろいろネットで検索して調べましたが定説はなさそうです。1969年設立の米国の会社LSI Computer Systems, Inc.Web Siteに「The first fabless Semiconductor Company」と書かれており(202212月時点)、少なくとも1969年にはファブレス半導体企業が存在していたことは確かなようですが、これは特殊な事例のようです。ネットで検索した限りではそれ以降しばらくファブレスが設立され形跡がなく、本格的なファブレス登場の波は1980年代に訪れます。1980年代は上述の「Introduction to VLSI Systems」の1980年の出版以降に訪れたVLSIの時代です。

 

1980年代前半に設立された主なファブレス半導体企業と設立時期は次の通りです。アルテラ(Altera)が1983年、チップス・アンド・テクノロジーズ(Chips and Technologies、以降C&Tと略す)とザイリンクス(Xilinx)、シーラス・ロジック(Cirrus Logic)が1984年設立です。すべて米国の会社で、シリコンバレーで設立されています。このあたりがその後のファブレスの隆盛の発端と考えるのが妥当ではないでしょうか。これらのファブレスのうちアルテラ、ザイリンクスはFPGA等のPLDの会社です。またC&Tとシーラス・ロジックは当時PC用のチップを作って成功していました。

AdobeStock_132588011_700x840sシリコンバレー

シリコンバレーはサンフランシスコ湾の南岸周辺に広がるハイテク企業の集積する地域で サンノゼ(San Jose)、サンタクララ(Santa Clara)、サニーベール(Sunnyvale)、クパチーノ(Cupertino)、パロアルト(Palo Alto)、マウンテンビュー(Mountain View)などの都市が含まれる

AdobeStock_213765708_700x447サンノゼ市とシリコンバレー

C&Tとシーラス・ロジックの例を見ると、1981年にIBM-PCが発売されてPC産業が立ち上がって半導体の応用範囲が広がり需要が拡大していたことも、上記のような新しい会社が登場してきた背景にはあると思います。

 

なお第5回でも少し触れましたが、ザイリンクスとアルテラはFPGA2強でしたが、アルテラは2015年にインテルに、ザイリンクスは2022年にAMDに買収されています。またC&T1997年にインテルに買収されています。

 

世界最初のファウンドリであるTSMCの設立は1987年なので、当時はまだ製造受託専門のファウンドリは存在しておらず、IDMに製造を委託していました。当社(旧リコー電子デバイス(株)の前身の(株)リコーの半導体部門)も何社かのファブレスとビジネスを行いました。他にも複数の日本企業がファブレスの製品の製造を受託していました。少なくとも上記のファブレスのうちC&T、ザイリンクス、シーラス・ロジックは日本の会社を使っていました。当時はIDMの空いた生産キャパを使うことで対応できる程度の事業規模だったと思います。残念ながらこの時期に日米で製造受託専業のファウンドリが生まれることはありませんでした。

 

ちなみに前回紹介した半導体売上トップ10に入っているファブレス企業の設立時期は、クアルコムが1985年、ブロードコムが1991年、NVIDIA1993年、メディアテックが1997年です。なおクアルコムは1985年設立ですが最初はファブレス半導体企業ではありませんでした。

 

最後に設計に特化したファブレス半導体企業誕生の背景を箇条書きで整理すると以下のようになります。

  1. プロセスの微細化で集積度が向上しシステムがチップに搭載できるようになったこと
  2. PC産業の立ち上がりによる半導体市場の拡大
  3. 設計手法の改革と設計の自動化の進展、専用VLSIを実現するための効率的な手法の開発
  4. 外部の専業ベンダー製の設計自動化ツールの普及
  5. EWS(業務用の小型コンピュータ)の普及
  6. 製造を受託してくれる企業の存在(当初日本企業の存在は大きかったと思います)
  7. 微細化の進展に伴う工場建設費の高騰

 

上記のが新興企業誕生の可能性を広げ、からが設計に特化したファブレスの実現性を高め、そしてによって新興企業にとってファブレスが必然になったと整理することができると思います。

 

以上今回は存在感を増すファブレス半導体企業について見てきました。次回は上記の「6.製造を受託してくれる企業」の主役となったファウンドリについて詳しく説明しましょう。

 

 

※過去の記事はこちら:
シリーズ:半導体の微細化
  第1回: 半導体の微細化 ムーアの法則とは
  第2回: 半導体の微細化と半導体プロセス
  第3回: 半導体の微細化と国際半導体技術ロードマップ
  第4回: 半導体の微細化と半導体ビジネス
  第5回: 半導体の微細化と半導体ビジネス その2
  第6回: 半導体の微細化と半導体デバイス
  第7回: 半導体の微細化 スケーリング則とは
  第8回: 半導体の微細化 スケーリング則の限界
  第9回: 半導体の微細化とアナログ回路
  第10回: Siウェーハの大口径化 ~ありふれた物質Si(シリコン)が主役になるまで~
  第11回: Siウェーハの大口径化(その2) ~Siウェーハができるまで~
  第12回: Siウェーハの大口径化(その3) ~大口径化の理由と歴史~
  第13回: 半導体産業の水平分業化とファブレスの躍進


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About Author

吉田 典生
吉田 典生

1981年 (株)リコー入社、リコー半導体事業立ち上げに参画しその後約40年にわたり半導体ビジネスに携わる。 技術者およびマネージャとして半導体前工程の製造技術・装置技術・プロダクト技術、研究所での製造プロセス開発、アジア各国での前工程生産外注立ち上げを経験。 その後シニアマネージャとして半導体後工程も含む生産技術全般、さらに生産管理や購買も含む生産全般のマネジメントを担当。 また業界団体SEMIの主催するセミナーにおいて20年以上にわたりエッチング技術の講師を担当。 日清紡マイクロデバイス(旧リコー電子デバイス)株式会社として分社化した今は、営業戦略全般のアドバイスも行いながら、“会社の歴史の語り部”という役割も担う。

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