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半導体の微細化と半導体ビジネス

半導体の微細化と半導体ビジネス

2回と第3回では、半導体の微細化の技術面を見てきました。第4回目の今回は、ビジネス面を見ることにしましょう。

※過去の記事はこちら:
  第1回: 半導体の微細化 ムーアの法則とは
  第2回: 半導体の微細化と半導体プロセス
  第3回: 半導体の微細化と国際半導体技術ロードマップ

 

第4回 半導体の微細化と半導体ビジネス
~半導体産業の発展を牽引した製品とは:トランジスタラジオと電卓~

 

半導体産業の立ち上げを牽引した製品

どういう製品が半導体産業の立ち上げを牽引したのかをまず見ておきましょう。

 

まずは集積回路以前です。1947年に誕生したトランジスタを使った最初の製品は補聴器で、小型・低消費電力を実現し性能向上に大きく貢献したようです。その後第1回で書いたように、1955年に東京通信工業(現ソニー)が電池駆動で携帯型のトランジスタラジオの商業生産に成功します。トランジスタは自社開発・自社生産でした。実は東京通信工業がトランジスタラジオを発売する前年の1954年末に、米国でトランジスタラジオが発売されましたが商業的には成功せず、東京通信工業のトランジスタラジオが世界最初の商業的に成功したトランジスタラジオです。これ以降テレビ等様々な民生品へ半導体が採用されていきます。

 

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1950年代末の 集積回路の発明以降で最初に集積回路が大量に使われて商業的に成功した製品は電卓(電子式卓上計算機)です。日本製電卓が世界市場を席巻し、日本はもちろん世界の半導体産業の発展に大きく貢献しました。

 

私の大学時代はパソコン普及以前なので理科系の学生が使える最新のデジタル機器は関数電卓でした。右の写真は私が研究室に配属された後の1970年代末に大学の生協で買ったプログラム関数電卓です。使ってはいませんが今でもちゃんと動きます。写真は210=1024を計算したところです。現在の日本では関数電卓はさほど売れてはいないようですが、世界の教育市場では今でも年間何千万台も売れているようです。



 

電卓の発展と半導体の高集積化

電卓の発展の歴史は、半導体の高集積化がもたらす革命的な効果を示す最初でかつ典型的な事例です。新しい半導体デバイスの採用と高集積化による機器の小型化、低価格化と低消費電力化。それによる据置型のビジネス用から携帯可能なパーソナル用へのビジネス拡大と半導体需要の爆発的な増加。米国での半導体の応用は軍事や航空宇宙が中心だったようなので、電卓が半導体の用途拡大のきっかけにもなりました。

 

では電卓発展の歴史を見てみましょう。真空管を使用した世界初の電卓は1962年に英国の企業が作りましたが、Geトランジスタを使用した世界初のオールトランジスタ電卓は日本製で1964年に発売され約50万円でした(1964年は東京オリンピックの年です)。その後毎年のように日本で新しい半導体デバイスを使った製品が発売されます。翌年の1965年にはSiトランジスタ、その翌年の1966年には早くも集積回路(IC)の採用、さらにその翌年の1967年にはバイポーラトランジスタのICからMOSトランジスタのICへ進化、1969年には大規模集積回路(LSI)の採用、残念ながら最初のLSI電卓は米国製のLSIでしたが、1970年には初の国産LSI採用電卓、そして1971年にはついに1チップLSI電卓が登場しました。なんとGeトランジスタから1チップLSIまでたったの7年です。半導体部品の数は、最初のトランジスタ電卓がダイオードとトランジスタ合わせて3000個弱あったものが、1971年には1チップすなわち1個になりました。1964年に50万円した電卓がLSIを使って70年代前半には1万円程度まで低価格化が進み、事務機器からパーソナル機器になり爆発的に売れました。

※ICとLSIICIntegrated Circuit(集積回路)の略称、LSILarge Scale Integration(大規模集積回路)の略称。1000個程度以上の素子を集積したものをLSIと呼ぶという記述もあるが定義ははっきりしません。なお、バイポーラトランジスタやMOSトランジスタについては別途説明したいと思います。

 

当時の電卓メーカーはそれぞれ各社専用の電卓用LSIを使っていたようですが、TIが日本に工場を作って1971年に外販用の電卓用1チップLSIを市場に投入したため、システム設計をしなくても組み立てるだけで誰でも電卓が作れるようになり、一時は日本で数十社が電卓市場に参入し「電卓戦争」と言われました。

 

電卓で使われたプロセスの微細化の程度は、ネットでざっと調べた限りでは、1967年の電卓に使われた集積回路は搭載素子数が数十個程度のIC15μm1971年の電卓用マイクロプロセッサは搭載素子数2000個以上のLSI10μmだったようです。微細化も進み大幅に集積度も上がっています。微細化の程度を現在と比較すると現在の最先端のプロセスが5nmなので、当時の千分の1以下に微細化されていることになります。

 

1回でお話ししたムーアの法則の原論文が発表されたのが1965年で、ムーアはこの論文で10年後の半導体業界の予測をしました。上で述べた電卓の話は、まさにこの予測期間内前半の出来事ですね。

 

表:電卓と半導体デバイス発展に関する年表

出来事 半導体部品数 微細化 価格 その他の出来事
1962 世界初の電卓(真空管)
1963
1964 世界初のオールトランジスタ電卓
   (Geトランジスタ)
3000個弱 約50万円 東京オリンピック
1965 Siトランジスタの採用 1000個以上から
100個台へ
50万円

10万円
ムーアの法則原論文
1966 バイポーラ集積回路(IC)の採用
1967 MOS集積回路(IC)の採用 15μm
1968
1969 大規模集積回路(LSI)の採用 10個以下 10万円以下
1970 国産LSIの採用
1971 電卓用マイクロプロセッサの誕生 10μm
1チップLSI電卓の登場 1個
TIが外販用1チップLSIを市場投入
197x 電卓戦争 1万円台
そして
1万円以下

 

 

電卓はまさに立ち上がったばかりの半導体産業の発展を牽引し、その後の半導体ビジネスの土台を作った製品と言えます。よく知られている話ですが、最初のマイクロプロセッサも電卓用の集積回路として開発されました。電卓に続くPCやスマホ等のデジタル機器とそれを支える半導体ビジネスの土台を電卓が作ったといって過言ではないと思います。コンピュータが小さく低価格になることでパーソナル機器(パソコン)になり、電話が携帯できるパーソナル機器になったのも電卓と同じような流れです。ただし当時の集積回路の実力では多分電卓が限界だったのではないかと思います。その後の微細化による高集積化の進展でPCやスマホが実現することになります。

 

今回は、半導体産業の立ち上げ時期(~1970年代前半)についてのお話でした。今回取り上げたトランジスタラジオも電卓も日本の会社と日本人が大きな役割を果たした製品です。どちらも半導体を使うことで小型化・低価格化・低消費電力化が進んで個人が携帯できるパーソナル機器になり爆発的に数が出たという点は同じです。次回は時を現在に戻して、最先端微細プロセスのビジネス関連のお話をしたいと思います。

 

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About Author

吉田 典生
吉田 典生

1981年 (株)リコー入社、リコー半導体事業立ち上げに参画しその後約40年にわたり半導体ビジネスに携わる。 技術者およびマネージャとして半導体前工程の製造技術・装置技術・プロダクト技術、研究所での製造プロセス開発、アジア各国での前工程生産外注立ち上げを経験。 その後シニアマネージャとして半導体後工程も含む生産技術全般、さらに生産管理や購買も含む生産全般のマネジメントを担当。 また業界団体SEMIの主催するセミナーにおいて20年以上にわたりエッチング技術の講師を担当。 日清紡マイクロデバイス(旧リコー電子デバイス)株式会社として分社化した今は、営業戦略全般のアドバイスも行いながら、“会社の歴史の語り部”という役割も担う。

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